武田信玄と6文字の風林火山

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風林火山と言えば「武田信玄」

本日は歴史のお話を1つしたいと思います。

「風林火山」という言葉を聞いてこの戦国武将を思い出す方は多いでしょう。
そう戦国最強の武将とまで言われていた武田信玄ですよね。

その武田信玄が戦に出る際、必ず掲げていた無敵の旗が下記のようなもの。

takeda-shingen<山梨市ホームページより引用>

俗に「風林火山」の旗とも言われており、構造は両面二枚はぎで平織りの地絹を紺に染めたものらしい。

そして、そこには金泥で「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」の文字が書かれているんです。
この軍旗は、必ず武田軍の先頭にあって将兵の士気を鼓舞するものとして使用されたというのだから、よほどの意味があったに違いない。

疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山のルーツ

武田信玄は、平安時代に伝えられた中国の兵法書「孫子」から引用した名句を、恵林寺の住職快川紹喜に書かせて軍旗に掲げていたと伝えられているようです。
この「孫子」は、集団戦の心得や、諜報活動の重要性など、近代的な戦略や戦術論を説いた兵法書で、作者である孫武は「三国志」において呉を建国した孫堅の先祖だと言われています。

また、「孫子」が日本に伝わったのは平安時代で、南北朝時代に差し掛かるまでは「知る人ぞ知る兵法」として受け継がれてきたようなんですが、現在に残る「孫子の兵法」は後漢の丞相・魏王で三国時代の魏の基礎を作った「曹操(そうそう:中国後漢末の武将・政治家)」が再編集したものらしいです。
実際に現代社会でも、経営学・企業戦略などに通用するものがあり、多くの企業の経営者も読んでいるんですよ。

そして、信玄の母である大井の方が招いた岐秀元伯和尚が、武田信玄に「孫子」の存在を教えたと言い伝えられています。
当時の僧侶とは、武家だけなく公家などの上流階級とも親交を持っていたため、しっかりとした学問を修めている必要があり、知識も豊富だったことでしょう。
武田信玄が岐秀元伯和尚と出会ったことによって、当時一部の人達にしか知られていなかった「孫子」を学ぶこととなり、後に先頭の軍旗へ「疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山」を掲げたのでしょう。
しかし、武田信玄は信仰する諏訪明神の加護を信じて「南無諏方南宮法性上下大明神(なむすわなんぐうほっしょうかみしもだいみょうじん)」を本陣旗(大将のいる場所)としていたらしい。

疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山の意味

furinkazan

「風林火山」で有名なこの言葉、物事の対処の仕方、情勢などに応じた動き方、戦における戦術などを含めた4つの心構えを述べたと言われており、簡単に解釈すとこんな感じになります。

風・・・其疾如風

(そ)の疾(と)きこと風の如(ごと)く  (疾き=はやき)
意味:疾きこと風の如く(攻める時には風のようにすみやかに動く)

林・・・其徐如林

其の徐(しず)かなること林の如く
意味:静かなること林の如く(次の動きに備えて態勢を整え、森林の静寂のような心構えで好機が来るのをじっと待つ)

火・・・侵掠如火

(おか)し掠(かす)めること火の如く
意味:侵掠すること火の如く(侵攻するときは、炎のように全てを焼き尽くす)

山・・・不動如山

動かざること山の如し
意味:動かざること山の如し(何事があっても統率を乱さず、山のようにどっしりと自軍を守る)

この4つの言葉の意味だけでも、現代社会に通ずるものがありますよね。

なぜ「疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山」なのか?

実は「孫子の兵法」に『兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず』という、「風林火山」に似たような文言があるのです。

兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず

意味:多少まずいやり方でも短期決戦に出て大勝する事は聞いたことがあっても、長期戦に持ち込んで上手く戦って大成功した例は知らない。

ここからは、少しだけ「三国志」のお話です。

先程もお話しましたが、現在に残る「孫子」を再編集で作り上げた「曹操」に仕えた軍師の1人に「郭嘉(かくか:中国後漢末期の武将・政治家)」という人物がいました。
この郭嘉、曹操自らが軍師と認めた人物であり、曹操の覇業を助けたが若死し、非常に惜しまれた凄い軍師だったそうなんです。

孫子より数百年後を生きた郭嘉が「孫子」を学んで彼なりの解釈をした言葉だったのかもしれませんが、曹操に助言したと伝えられている言葉に『兵は神速を尊ぶ』というものがあるんです。
また、この言葉は曹操が数百年の間にいろんな解釈ができてきてしまった「孫子の兵法」を自ら再編集した際、郭嘉の言葉である『兵は神速を尊ぶ』『兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず』という言い方に変更して「孫子の兵法」に混ぜたのかもしれませんね。

兵は神速を尊ぶ

意味:戦いは迅速果敢に軍隊を動かすことが何よりも大事であるということ。

当時、合戦においては進軍の速さが非常に重要な課題となっていたんです。
これは、武田信玄が生きた戦国時代も同様だったことでしょう。
「風林火山」で言うならば、「風」「炎」がそれを表す言葉です。
風のように迅速に動き、炎のように相手を蹂躙することがどんな合戦でも要となっていました。
そして、静かに進軍の時機を待つことも合戦では重要なのでしょう。
もし敵の挑発に乗ってしまうと、早々に大将が討ち取られる可能性も高くなり、結果として自軍が敗れてしまうという例はいくつもあるようです。

正式な「風林火山」は6文字だった

「風林火山」の4文字が有名過ぎてあまり知られていないんですが、孫子の説いた「風林火山」には続きがあるんですがご存知でしょうか?
そう「孫子」に記された「風林火山」は、これで終わりではないんです。

知られていない言葉は「陰」「雷」を合わせると、正式には「風林火山陰雷」の6文字となるんですね。

難知如陰

知り難きこと陰の如く

動如雷霆

動くこと雷の如く

掠郷分衆

郷を掠めるには衆を分かち

廓地分利

地を廓めるには利を分かち

懸権而動

権を懸けて而して動く

先知迂直之計者勝

迂直の計を先知する者は勝つ

この意味は、「自軍の戦力は影に隠されているように相手にわかりづらくし、動くべき時は雷のように素早く動くこと。国を取るならば民衆の心を領主から引き離し、領土を広げるならば利権を相手にも与える。相手の進路を先んじて知れば勝つ。」というものらしい。

合戦で勝つことだけが、国を大きくする手段ではなく、他国の民衆の心を離すことや利益を提示して懐柔することなどの計略も重要であるという意味です。

風林火山の6文字を解釈するとしたら

風林火山の6文字を解釈するとしたら

武田信玄が軍旗に掲げた「風林火山」の文字とは、「百戦百勝が最善ではなく、戦わないまま相手を屈服させることこそが最善である」と説く、「孫子」の精神を示す言葉だったんです。

風・・・其疾如風

(そ)の疾(と)きこと風の如(ごと)く  (疾き=はやき)
意味:疾きこと風の如く(攻める時には風のようにすみやかに動く)

林・・・其徐如林

其の徐(しず)かなること林の如く
意味:静かなること林の如く(次の動きに備えて態勢を整え、森林の静寂のような心構えで好機が来るのをじっと待つ)

火・・・侵掠如火

(おか)し掠(かす)めること火の如く
意味:侵掠すること火の如く(侵攻するときは、炎のように全てを焼き尽くす)

山・・・不動如山

動かざること山の如し
意味:動かざること山の如し(何事があっても統率を乱さず、山のようにどっしりと自軍を守る)

陰・・・難知如陰

知り難(がた)きこと陰の如く
意味:知り難きこと陰の如く(敵・味方を問わず、誰にも知られずに陰のように諜報活動を行って情報を操作すること、敵軍と自軍の実情や戦力などを調査することこそが合戦に負けないためには重要)

雷・・・動如雷霆

動くこと雷霆(らいてい)の如し  (雷霆=カミナリ)
意味:動くこと雷霆の如し(諜報活動で得た情報は有効に活用し、雷が落ちるような勢いで素早く奇襲せよ)

なぜこの「陰」「雷」の2文字を軍旗に掲げなかった?

諜報活動を表す「陰」も、奇襲を表す「雷」も軍旗に掲げていては全く意味を成しません。
例えば、軍旗に掲げるということは進軍の際や合戦の際、敵国に「私はスパイ使ってます」「有力情報があれば卑怯な奇襲します」と書いてあるようなものなんですね。
そのために、武田信玄は「風林火山陰雷」という6文字から伏せておかなければならない「陰」「雷」の2文字をあえて隠していたと考えられます。

武田軍のスパイと探偵

武田軍のスパイと探偵

「孫子」では一篇を割いて「用間」の重要性を説いています。
「用間」とは間者・間諜を用いること、すなわち戦国時代風に言い換えると「忍(しのび)」、現代風に言い換えるとしたら諜報活動を行う「スパイ」「探偵」のことです。

「孫子」曰くは「敵を知り己を知れば百戦危うからず」、情報操作や情報収集が非常に重要ということです。
実際に戦国時代の有名な大名達は、自国内に諜報活動を行う忍者達を抱えており、武田信玄も例外ではありませんでした。
「透破」「歩き巫女」と呼ばれる忍者達を使い、各国の情報を収集していたと伝えられています。

現代は「探偵」が調査を行って証拠収集をしたりしますが、戦国時代には当時の「探偵」とも言える「透破」「歩き巫女」が潜入捜査で大活躍していたことでしょう。

透破

「すっぱ」「とうは」「とっぱ」などと読み、「スッパ抜く」の語源となった忍者の通称

武田信玄は「三つ者」と呼ばれる「透破」を使っていたらしく、各地の情報収集、情報操作、人心操作などの諜報・工作活動に従事したと伝えられています。
しかし、当時の「透破」忍者のような服装をしていた訳ではなく、普通の農民や商人などと同様の服装をして敵国に潜入し、士気が下がるような噂を流して情報操作をしたり、情報収集をしていたらしいです。

歩き巫女

「くの一」のような女性スパイ

武田信玄は身寄りのない少女達を集めては、訓練をさせて「歩き巫女=スパイ」を育成していたと伝えられています。
諸国を歩いてもすぐには怪しまれない「歩き巫女」に着眼し、望月千代女という義理の姪に当たる女性忍者に「歩き巫女」の養成を行わせたという話もあります。

歩き巫女は、どこの神社にも属していないフリーランスの巫女のことで、各国で巡礼をしながら敵国の情報を集めていました。
また、舞や歌を披露するなどして生計を立てていたので、現代風に言い換えると「ストリートパフォーマー」のような存在でした。

しかし武田信玄は、家臣に「僧侶」や「巫女」の宿泊を禁止していました。
それは、他国のライバル大名が自分と同じように「歩き巫女」を潜入させて諜報活動を行うことを恐れていたんですね。

武田信玄は分析上手かも?

諜報活動を表す「陰」も、奇襲を表す「雷」も軍旗からあえて外していたり、現代の「探偵」とも言える「透破」「歩き巫女」を使用していたり、敵国の諜報活動を防ぐため家臣に「僧侶」や「巫女」の宿泊を禁止していたりと、武田信玄は諜報活動が非常に重要であったことを理解していた人物であることは間違いないでしょう。

そして、収集した敵国の情報をどのように利用するのか、どのような噂で敵国を混乱させるのかを考える天才だったのかもしれません。
現在だったら、武田信玄は日本一の探偵事務所の社長になっていたかもしれませんね。

千葉県松戸市の「ラブ探偵事務所」現役調査員B

最後まで読んでくれてありがとう(;^_^A
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